サラリーマンを辞めてから死に対する恐怖が薄らいだ。そして、日本での無職生活は孤独を感じる
仕事をしない生活を始めてから5ヶ月目に突入しようとしています。最初の2ヶ月間は海外放浪をして、そのあとは日本で生活しています。
もう一回サラリーマン生活をしたいなんてゆめゆめ思いません。好きなときに寝られる生活は最高です。ですが、将来に対するモヤモヤとした不安は感じ始めました。
さて、日本での無職生活は非常にシンプルでカフェと自宅を往復するだけの毎日なのですが、なんというか孤独を感じることがたまにあります。
海外で1人旅をしていたときよりも孤独感が強いです。
今は実家に住んでおり家族と一緒に暮らしています。それでも異国の地を1人でフラフラしていたときのほうが心に温かみがありました。日本に住んでいると感じるこの虚無感はいったい何なのでしょうか?
とりあえず、感じていることをつらつらと。
サラリーマンを辞めてから死に対する恐怖が薄らいだ
単なる勘違い、あるいは気の迷いかもしれません。実際に死に直面すると当たり前ですが恐怖します。投資で下がったら買おうと思っていて、実際に暴落を目の当たりにすると恐怖で買えないみたいなことと同じでしょうか。
それでも、なんというか、、、死に対する恐怖は薄らぎました。好きなことをやって生きているからでしょうかね。今の生活は好きですが、充実していないということなのかもしれません。。。
いや、違う。
このように少し気分が下がるのは、マンネリ化しているからでしょう。刺激が足りなくなって余計なことまで考え始めているのだと思います。
ゆるやかな自殺
生きることは時間と関係しています。しかし、生きることを決めるのは経過した時間の長さではなく、時間をいかに過ごしたかです。
「仕事をやらされている」「仕事に行かなければならない」という主体性がない状態で22歳からサラリーマン生活をずっと続けたとき、定年退職する頃に「オレは生きた」と言えるのでしょうか?時間だけを失ってしまったと後悔する可能性は否定できないでしょう。
主体性がない状態で生きることは、言い換えるとゆるやなか自殺ですね。
私のサラリーマン生活を省みると偉そうなことは何も言えません。すみません。ぺこぺこ。今は主体的にフワフワしています。フワフワ職人。
まぁ、不安を感じ始めており、そしてどうやって生きていくかの算段もついていないので、将来の選択肢の中に再就職はあります。日本だとドロップアウトした人は評価が下がるでしょうから、海外就職を視野に入れています。そのときは、なるべく主体的に働きたいな。
孤独は自分とのデート
というわけで、孤独を感じています。このような時期も人生に必要でしょう。マンネリ化も悪いことではなく、自分と対話できる良いチャンスです。それに、今のまま日本にいると気分が沈むとはいっても、海外生活の快楽も2週間がマックスですからね。前回の放浪で身を持ってわかりました。2週間だとせわしないので、1ヶ月ごとに海外と日本の往復するぐらいが良さそうです。
今後の予定
2月中に職業訓練の試験があります。合格すれば、家さがしをしたあとにフィリピン放浪。そのあとは半年間の職業訓練校生活に突入します。
もし落ちたら、、、ワーキングホリデーですね。