お金がある幸せと楽しみの消費期限。自分の好きを大事にする

 

20代最後の夏は長かった。

 

 

2016年10月現在、私は29歳です。今年が20代最後の夏となります。今はプノンペンでアパートメントを借りて生活しており、暑い日が続いています。

 

まだまだ夏は終わりそうにありません。

  

それはそうと、1年前の2015年9月30日が最終出社日でした。無職2年目に突入しました。せっかくなので、最近思っていることをつらつら書きたいと思います。テーマは「お金」と「幸せ」です。

 

 

お金がある幸せ

 

お金がある幸せは、

 

1.いやなことにたいして「NO」と言えること

2.好きなことにたいして「YES」と言えること

 

の2つではないでしょうか。

 

お金があれば、お金のために何かをする必要がなくなります。いわゆる経済的自由というものです。お金を得るためには何かと我慢を強いられる世の中ですが、それらに対してNOと言えることは素晴らしいですね。他にも、ボロボロの家や満員電車など劣悪な環境から抜け出せます。

 

また、お金があればお金を気にせずにしたいことができるようになります。何かしたいことがあるときには財布と相談するのが常ですが、それをする必要がなくなります。毎日外食を我慢して貯めたお金で海外旅行なんてことにはならないのです。外食も海外旅行も思いのまま。

 

 

お金はたくさんあっても使えない

 

嫌なことに対してNOと言い、好きなことに対してYESと言えるだけのお金があれば、それ以上のお金を持っていても使うのは難しいですし、幸せを感じることは難しいでしょう。

 

たとえばまったくの主観ですが、東南アジアのホテルでいえば、

 

1000円以下はドミトリー

1000円を超えると個室

5000円を超えると清潔さや利便性で不満を感じないホテル

 

になります。

 

 

お金がなくてドミトリーにしか泊まれないのは不幸だと思います(自ら選択して泊まる場合は別)。

 

一方、お金があっても1万円以上のホテルには泊まらない人がいます。なぜなら、1泊5000円のホテルですでに満足ですし、寝るだけで差額の5000円が儲けられるとう思考回路により5000円のホテルを選択することになるのです。

 

感覚は人それぞれですが、自分が満足するレベルを超える価値に対してはお金を支払うのがもったいなく感じるのは事実だと思います(苦労してお金を得たことがない人は別)。

 

 

楽しみの消費期限

 

歳を重ねるごとに、「お金から得られる楽しみ」はどんどん減少していきます。

 

減価する理由の1つは、健康状態がどんどん悪くなっていくことです。 食欲、記憶力、性欲などが年齢とともに減退することを考えると、 今やりたいことを我慢して将来に楽しみを取っておくと、いざその将来がやってきたときに同じぐらいの楽しみは得られない可能性があるわけです。

 

そして、健康状態だけでなく自分の嗜好が変化することも、「楽しみ」に影響を与えます。同じものをずっと好きであり続けるのは難しいです。

 

 

「今やりたいこと」から得られる楽しみの最大値は、いつだって「今やったとき」なのです。

 

 

好きを大事にする

 

なぜつらつら上記のようなことを書いてきたかというと、お金だけで幸せになることはできませんし、やりたいことはやったほうがいいという、まぁ、たくさんお金を使っている最近の私を正当化しているのです。

 

最近はプノンペンでアパートメントを借りてクメール語を学ぶということをしているわけですが、これも今でないと楽しめないと思ったんですよね。

 

勉強ってやはり負荷がかかるものですし、数年後にはクメール語を学ぶのは面倒だと思っていることでしょう。だから今決断したわけです。

 

会社を辞めてからは「自分の好きを大事にする」ということを意識しています。自由時間が増加するうえで、「自分の好き」がなければなんとも味気ない人生になってしまいます。

 

コスト(お金や時間や情熱)を支払ってでもやりたいことがあるというのは、それだけでとても幸せなことだと思っています。